山梨民藝協会ホームページ

柳宗悦の日本民藝館・日本民藝協会の山梨支部

山梨民藝協会のホームページへようこそ。
浅川伯教・巧兄弟や木喰上人、木食白道などについて「研究ノート」で知られていない資料や情報をお知らせしています。
浅川伯教・巧 研究について


山梨民藝協会の事務所では
戦前の朝鮮関係の本・今の韓国・北朝鮮関係の本を取り揃えています。
山梨県甲府市丸の内2-29-2 ワインズ新富屋3F 「ぱらむ」
常時はおりませんので、連絡をいただいて開館いたします。連絡は山梨民藝協会へお問い合わせください。
 (090・8341・0858)
2017 ご案内

山梨民藝協会 定例 2017
柳宗悦の「用の美」縄文土器との相関について
ー開催のご案内ー

期日:平成29年(2017)6月24日(土)
会場:甲府 駅前通り ワインズ新富屋ビル三階 ぱらむ
主催:山梨民藝協会
申し込み期限:当日お越しください
問い合わせは山梨民藝協会へメールか電話でどうぞ
メール:yamamingei@yahoo.co.jp
電 話:090-8341-0858



2017 ご案内

第71回 日本民藝協会全国大会 松本 2017
美しさに包まれて
ー開催のご案内ー

会期:平成29年(2017)5月27日(土)~28(日)
会場:松本市 ホテル ブエナビスタ
主催:日本民藝協会・長野県民藝協会
申し込み期限:3月15日(水)まで
問い合わせは山梨民藝協会へメールか電話でどうぞ
メール:yamamingei@yahoo.co.jp
電 話:090-8341-0858


平成29年度 日本民藝夏期学校 (鳥取会場)
「バーナード・リーチ 東と西を超えて」
会期:平成29年(2017)4月21日(金)~23(日)
会場:鳥取市 ギャラリーそら、鳥取県立博物館
主催:日本民藝協会・長野県民藝協会
申し込み期限:3月31日(金)まで 店員55名
問い合わせは山梨民藝協会へメールか電話でどうぞ
メール:yamamingei@yahoo.co.jp
電 話:090-8341-0858


日本民藝館創設80周年記念シンポジウム
主催 日本民藝館 
共催 東京大学駒場博物館 後援日本民藝協会 
日時 2016年10月22日(土)10時30分-17時30分
会場 KOMCEE「地階レクチャーホール」
[午前のプログラム【10時開場】]
 10時30分-12時「駒場の歴史とキャンパスツアー」
    参加費無料 定員50名(要予約)
    く講師〉祈茂克哉(東京大学駒場博物館助教)

    〔午後のプログラムく13時開場>〕
 13時30分-17時30分「80周年記念シンポジウム」
      聴講無科 定員200名(要予約)
◇記念講演会「モノと人間」く13時40分-14時40分)
く講師〉中沢新一(明治大学特任教授、野生の科学研究所所長)
◇記念討論会「日本民藝館の使命」(15時-17時30分)
く基調講演〉深澤直人(日本民藝館館長)
く討論会〉パネラー 鞍田崇(明治大学准教授)、
          柴田雅章(作陶家)、
          濱田琢司(南山大学教授)、
          深澤直人(日本民藝館館長)   
     コメンテーター 中沢新一、祈茂克哉
     総合司会 杉山享司(日本民藝館学芸部長)
  ※参加希望の方は、日本民藝館まで
           電話(03-3467-4527)か
           FAX(03・3467-4537)で
           お申し込みください


2016年、日本民藝協会全国大会ご案内。
平成28年度 日本民藝協会全国大会東京大会

日時  平成28年6月3日(金)─4日(土)
会場  日本近代文学館講堂(東京都目黒区駒場4-3-55)
主催  日本民藝協会・東京民藝協会
参加費 20,000円(4日の国立劇場歌舞伎観劇を含む) / 15,000円(4日の国立劇場歌舞伎観劇を含まない)
申し込みは山梨民藝協会へ3月15日までに申し込んでください。


本年は日本民藝協会が昭和9年(1934)6月に設立されて、28年目となります。そしてその2年後の昭和11年10月に、日本民藝館(現・公益財団法人)が東京駒場の地に開館いたしました。
 民芸運動が大正15年(1926)4月の、柳宗悦、河井寬次郎、濱田庄司、富本憲吉による『日本民藝美術館設立趣意書』の発表を発端とするならば、本年は90年目、そして日本民藝館の開館は80年目という区切りの良い年です。


2016年、日本民藝協会全国大会ご案内。
平成28年度 日本民藝協会全国大会東京大会

日時  平成28年6月3日(金)─4日(土)
会場  日本近代文学館講堂(東京都目黒区駒場4-3-55)
主催  日本民藝協会・東京民藝協会
参加費 20,000円(4日の国立劇場歌舞伎観劇を含む) / 15,000円(4日の国立劇場歌舞伎観劇を含まない)
申し込みは山梨民藝協会へ3月15日までに申し込んでください。

[開催のご案内]
本年は日本民藝協会が昭和9年(1934)6月に設立されて、28年目となります。そしてその2年後の昭和11年10月に、日本民藝館(現・公益財団法人)が東京駒場の地に開館いたしました。
 民芸運動が大正15年(1926)4月の、柳宗悦、河井寬次郎、濱田庄司、富本憲吉による『日本民藝美術館設立趣意書』の発表を発端とするならば、本年は90年目、そして日本民藝館の開館は80年目という区切りの良い年です。

平成28年度 日本民藝夏期学校佐久会場

日時  平成28年7月8日(金)─10日(日)
会場  長野県佐久市 多津衛民藝館(長野県佐久市望月2320-4)
           望月駒の里ふれあいセンター
           春日温泉「かすがの森」
               主催  日本民藝協会・東京民藝協会
参加費 23,000円(宿泊有) / 15,000円(宿泊無)
申し込みは山梨民藝協会へ6月15日までに申し込んでください。

豊田会場7月22日(金) ―24日(日) 6月30日申し込み締め切り
詳細は問い合わせください。>


[開催のご案内]
主催: 日本民藝協会、多津衛民藝館、佐久会場実行委員会
講師: 中見真理(清泉女子大学教授)
     杉山亨司(日本民藝館学芸部長)
     原田マハ(作家・美術史研究家)
 

2017年予定について
ぱらむの連絡は(090-8341-0858)まで

山梨民藝協会の事務所「ぱらむ」とは
韓国語で「風」の意味-風は空気の動きでおこります。動かないと何も始まりません。好きなことには行動をおこしましょう。そんな方たちの集まりやすい場所提供です。甲府駅から歩いて5分ワイン専門店[ワインズ新富屋]の三階です。おしゃべりに寄っていく方、本を見ていく方などいらっしゃいます。お気軽にお出かけください。
 高崎宗司先生の書斎にあった本など朝鮮・北朝鮮・韓国関係の本がそろっています。浅川伯教・巧兄弟が出版した当時の初版本、浅川兄弟に関わりのあった方々の本など関係者の本が揃っています。
2017年2月
山梨民藝協会お知らせ・研究ノート・『浅川巧日記』を読み解く。しばらくお休みしておりましたが、再開します。

2016年7月
山梨民藝協会・研究ノート・『浅川巧日記』を読み解く。しばらくお休みしておりますが、再開はもうしばらくお待ちください。
2016年2月
山梨民藝協会・研究ノート・『浅川巧日記』を読み解く。しばらくお休みします。


2016年1月17日
山梨民藝協会・研究ノート・『浅川巧日記』を読み解く。1922(大正11)年より一月五日、六日を載せました。
 とうとう、今年も8月15日を迎えた。私にとって、8月15日は全面降伏であの戦争ががやっと終わったという歴史上、記念すべき日であることが一番。それ以上に個人的には『浅川巧日記』の8月15日に巧の詩が載っている日ということも大きい。
 下記に載せたこの「星の歌」と称する記述が書かれた日なのだ。
 伯教・巧兄弟はキリスト者であった。キリスト教を理解するうえで巧日記のこの記述ほどその精神を表現し、詩のように述べた文を他に知らない。

 大空は隅から隅まで星を鏤めた象眼になって居る。
 大空の奥行きは人間に想像を許されて居ない気がする。
 星には大小光の色や強弱があって同じ様のは殆んどない。
 あの各々に自転や公転の運動があるとどうしたら思へるだらうと
 疑ひ度い程静かだ。
 彼等の運動は自由だ。

 真の自由は進むべき当然の道、神の指示する道を信じて歩むことだ。
  彼等は自由の運動をして居て全躰の均斉を失わない。
 逆に云ふと全躰の均斉を失はない各個の運動は真の自由の運動であると
 云ふことになる。 
 寧ろ各個の運動によって全体の均斉は安全に保たれて居るのだ。
 あの宇宙にふらふらして居る様の星が人間の想像し得る一番確実な
 安泰の状態であると云ふことを知ってゐるか。
 自分達が地球上に如何に大建築を立てゝも、大森林を造っても、
 墓場を立派にしても、土を掘って宝をかくしても、
 大盤石にしがみついても、
 その確かさはあの星の一つの糞皮に起った出来事にすぎない。

 人類よ、星の様に自由の道について進め。そして全躰を安泰にしろ。
 各自許された力を出し切って運動しろ。
 引力の手を汝の隣に延べて握手しろ。
 人の子の霊の天躰はそこに出来て星の様に輝くだらう。

 草叢の土際からコウロギの一族が星の歌を歌ってゐる

 私たちは自分の意志で自由に生きていると思っている。しかし、そのように見えても実際は宇宙が均衡を保って全宇宙に存在しているように、自由のように見えても宇宙の中ではそれぞれ均衡を保っている一人にすぎない。だから、自由に生きることで人間社会に於いて均衡を保っているのだ。各おのおのが自由に自分の力を出し切って生きろ。そうすることによって星が自分で輝くように人も輝く、と。巧は8月15日の日記に書いているのだ。最後の一行を見ると巧は全く詩人だ。
2016年7月29日(金)
 月日は確実に進む。しばらくご無沙汰しておりまして、問い合わせも頂き、ご心配をおかけいたしました。色々ありました。次から次へ心を乱すことが起こるものです。全て私的なことですが、私は元気です。
 
 先日、パワースポットの様な「さわらの森」に行ってきた。サワラ(椹、学名:Chamaecyparis pisifera)は、ヒノキ科ヒノキ属の1種。針葉樹。約10ヘクタールの広さを持ち、何十本ものサワラの巨木が密集している。
 さわらは多数の支幹に分かれ、くねくねと曲がった幹。その上にまっすぐな孫のような樹形が立ち、数百年を生き切っている。そんな妖しい樹形を浮かび立たせる地表の苔もすごい。まるでサワラ版「幻想の森」。一歩足を踏み入れると、異次元世界の森に迷い込んだようなすばらしい森だ。
 生きる力と永遠とは何かを感じさせる。今の私たちが死んでもこの木は生きているだろうことを疑いなく思える樹だ。それも道路から入ってすぐの妖幻な世界。
 先日、韓国からの客とここにお弁当を持って行き食べた。暑い盆地とは別世界だ。おにぎりも玉子焼きもおかずもスルスルと食べれた。地面はふわふわ。緑の苔。さわらの横に立つと、人の何と小さいことか。今の私たちの悩みや憂いの何と小さいことか。
 さわらはどうやら水に強いようだ。冷たい水の流れの横に立っている。流れが樹の皮を洗っている。腐らないのか。私たち人間の一日、一生もこの樹にはかなわないけれど、この短い一日をどう過ごすかの自由度は動物である人間には与えられている。
 昔から「人はどう生きるか」の命題は語られているが、この数か月色々なことに遭遇し、最近ほど実感することはない。一日一日を本当に慈しんで生きていきたい。
『浅川巧日記』を読み解く
一月十四日
午前中事務所で仕事をした。
午頃から長谷川町の日本基督教会へ行った。柳、赤羽両兄とも来て居て会場の準備も万端出来てゐた。柳さんの「プレークの絵画」と題する講演は二時頃から一時間半ばかりあつた。背思ひ思ひに画を見て帰つて行つた。画はブレークの画の複製版画二十余点で何れも随分いゝものだつた。来た人は五十人ばかり。夜は柳、金沢の諸兄を誘つて赤羽君も一緒にソルランタン〔牛肉、脛骨などを煮込んだスープ〕を食べに行つた。ソルランタンは牛の頭や内臓のスープを飯にかけたものだ。安価で滋養価値の多いよき食物だと思ふ。それから柳さんと.二人町を歩いて貞洞で別れて兄の家へ寄つた。母と嫂を対手に十二時頃まで戯談を言つて嫂の里へ送る牛肉の荷を作つてそれを発送するために預つて持つて帰つた。

 
 あんなに準備した「プレークの絵画」と題する講演会は2時~3時半まで。ブレークの複製画は20余点。来場者は50人余。ブレークも知らない大半の朝鮮人、在住日本人に一生懸命知らせたい。良いものは知らせたいという思いが強い。この時、柳宗悦は33歳。巧は31歳、赤羽王郎は1886年4月生れで36歳独身。
 嫂のたか代の実家は現山梨県韮崎市穂坂町三沢で家督を継いだ弟の善衛(よしもり)当てで、 山梨の田舎ではその頃、牛肉など手に入りにくい。きっと喜ばれたであろう。

一月十五日
 托された荷は春植に頼んで新村駅から送り出して貰つた。第一回にした版画展覧会の画を整理した。朝から細い雪が十一時頃まで降つた。
 会は昨日よりよかつた。柳さんも興奮して詩を読んでゐる様だつた。ブレークの詩は美しく鋭い。人は六十余人集つた。午後森永君の家に行つて彼の父の蒐集した朝鮮の器物を見た。特にいゝものもないが僕等の持たないものが二、三点あった。夜また柳さんに会つて晩くまで話した。
 会が済んで少し気ぬけがした。熱心な青年に会はなかつたことと朝鮮の友の少なかつたことは淋しい。京城の市民達が藝術に対する欲望のまだ少ない証拠だ。


「ブレークの絵画」の講演会は2日に渡って有ったことがわかる。今日のは絵画ではなく、ブレークの詩であろうか。

 ブレークとその詩・絵画を調べてみた。 http://blake.hix05.com/index.htmlより
 ブレークとは、ウィリアム・ブレイク William Blake(1757-1827) は、イギリスロマンティシズムの初期を代表する詩人にして画家である。彼の業績は詩と絵画を別々にしては考えられない。その詩の殆どは、挿絵を伴った絵本の形で出版されたし、また、詩も絵画もブレイクという芸術家が抱いていた世界観を、それぞれの形で表現したものといえるからだ。
ウィリアム・ブレイクの持っている特質は、深い宗教的感情と、幻想的な資質である。
イギリスロマンティシズムを代表する詩人にして画家である。イギリスのロマンティシズムは19世紀前半に起こった芸術の潮流であり、詩と絵画を通じてイギリスの歴史に残る偉大な作家を生み出した。ブレイクはその中でももっとも偉大な芸術家とされ、今日においても、詩と絵画を通じて高い評価を受けている。
ブレイクは正規の学校教育を受けず、主に母親によって教育された。用いられた教材は主に聖書だったという。だから、聖書を題材にしたものが主要である。
ウィリアム・ブレイクの第一詩集「無垢の歌」は、実質的には「羊飼い」の歌から始まる。羊飼いは羊飼いの仕事が楽しいといって、自分の仕事に満足している。なぜなら羊とともに暮らすのは素敵なことだし、羊も自分を頼ってくれる。自分も羊も神様に感謝しなければならない。
羊飼い The Shepherd
 羊飼いの仕事は楽しい仕事
  朝から夕まで歩きまわって
  一日中羊を追いかける
  感謝の言葉をささやきながら

  子羊が可愛い声をあげると
  母羊がやさしく答えてあげる
  羊飼のおかげで羊たちは平和
  羊飼がいつもそばにいるから
ウィリアム・ブレイクの第一詩集「無垢の歌」は、実質的には「羊飼い」の歌から始まる。羊飼いは羊飼いの仕事が楽しいといって、自分の仕事に満足している。なぜなら羊とともに暮らすのは素敵なことだし、羊も自分を頼ってくれる。自分も羊も神様に感謝しなければならない。
羊のほうも、羊飼いがいるおかげで、狼に襲われる心配もなく、のんびりと草を食べていられる。やはり神様に感謝しなければならない。
なにやら人間の親子、母と子の幸せな関係を物語っているようだ。無垢な子どもと、子どもを導く母親の愛。この詩はそんな愛と喜びのテーマを、うららかに歌ったものだ。

生まれた喜び Infant Joy
 “僕にはまだ名前がない
  生まれてまだ二日なんだ“
  どんな名前がいいかしら
  “ぼくはとっても幸せだから
  喜びの名がいいな“
  いつまでも喜びが続きますように!

  可愛い喜び
   愛らしい喜びはまだ二日
  あなたを喜びと呼びましょう
  あなたは微笑み
  私は歌う
  いつまでも喜びがつづきますように!

『浅川巧日記』を読む解く(13)
一月十三日
 午前中事務所で播種造林の試験の仕様書を書いて午後本府へそれを持つて行つた。朝鮮服を着て居たので本府の玄関で巡査にとがめられた。一寸いやな気がした。夕方赤羽君が来たので二人で晩飯をした。貰つた鶏や豚の肉で薬酒を飲んだ。夜はまた森永、赤羽諸兄夜は又森永、赤羽諸兄と柳さん処に会して展覧会の画の準備をした。赤羽君は僕の家に来て寝た。


午前中事務所で」の事務所は清涼里(チョンニャンニ)へ越した林業試験場のこと。
金二萬氏(キムイマン)は「木おじいさん」と呼ばれ、「林業試験場に携わって60年」で次のような手記を残している。
「今年(1982年)で林業試験場創立60週年を迎えたが、創立当初から勤続している私(1919-1963勤務1985年85歳で没)は、その間に発展変化した試験場の姿を見るたびに、色々な昔の追憶が頭の中にいっぱい湧いてくる。
1913年に発足した林業試験所は、1919年9月に北阿峴洞から清涼里洪陵に移転してきたが、移転当時の事務室は小屋のように小さな建物2棟で5~6名の職員が勤務していた。
 所長の石戸谷勉(いしどや・つとむ)と主任の浅川巧(あさかわ・たくみ)氏が中心になって多くの試験事業を遂行した。
 浅川巧氏は韓人に対する日本人たちの蔑視が甚だしかったその当時において非常に親韓的な人士であり、韓国人の困難に目を向けてくれたので、日本人としては例外的に忘憂里に葬られ、(墓は)林業試験場によって手入れされている。
 1922年8月23日、林業試験所が朝鮮総督府林業試験場へと改編・昇格した。創設当初の造林分野での主要試験課題は、試植地造林事業、種子発芽試験、樹木園および薬用植物園造成、種子標準品質調査および標本収集等であった。
 8・15以前まで、故鄭台鉉博士をはじめ、中井猛之進、植木秀幹等と金剛山、白頭山、智異山等、全国の山林を数回踏査して樹木その他の山林植物を採集したので、今でも北朝鮮のどの山どの谷間に何の木が育っているのか、頭の中に浮び上がったりする。
 1925年に実施された試植地造林事業は、我が国最初の適地敵樹試験であり、種子産地試験で種子産地別に養苗された苗木を全国388か所の山林に植栽し、活着率、年年成長量、適応性等を20余年にわたって調査したが、8・15と6・25の混乱期に資料が焼失し、貴重な事業が無為に終わってしまった時はとても残念だった」。山林庁林業試験場『林業試験場六十年史』1982:http://blog.livedoor.jp/bagoly/archives/65764413.html より転載

「本府へそれを持つて行つた。朝鮮服
を着て居たので本府の玄関で巡査にとがめられた。一寸いやな気がした」。
朝鮮服は暖かく朝鮮の風土に合う、着やすい服であることを身に感じ、それが自然であった巧にとってこれは本当に嫌な体験であっただろう。このような巡査がとがめる意識は高崎宗司先生の『「妄言」の原形―日本人の朝鮮観』(木犀社)を読んで学びたい。
2016『浅川巧日記』を読み解く12
一月十二日  
 午前中部屋のかたづけと事務所で仕事をした。午近い頃から柳兄が来たので二人で美術館の物品の整〔理〕をして「チゲ〔荷担ぎ〕」を傭つて送り出した。僕が此の家を立ちのかなければならんために嘉納家の一室に預けるのだ。美術館の計画が具体的になつてから満一年だが、その間にぼつぼつ持ち込んだものが実に二十「チゲ」と荷車一台あつた。僕の部屋も荷を出したらすきずきして淋しくなつた。僕の四~五年間の蒐集品も美術館に加へたので何となく淋しさと身軽になつた愉快さを感じた。淋しさを自ら慰めるためには使用し馴れたり又特に好きな数点を預かつて身辺に置く様にした。柳さんと嘉納さんから借りた部屋に物を納めた。金君も手伝つて呉れた。晩飯は今村さんで仕度して呉れて粟飯の御馳走になつた。夜は赤羽、森永、挟間君諸兄と柳さん処で「ブレーク」の詩抜粋抜の謄写印刷をした。一時すぎまでかゝつた。寒い夜の雪道を山越しに帰つて寝た時は二時すぎだつた。

 「朝鮮民族美術館」に展示する作品の整理と保管のことが出ている。巧の勤務先の山林研究場が京城府外清涼里に移ったので、僕が此の家を立ちのかなければならんために巧も勤務先の清涼里に引っ越すことを決めていることがわかる。
 嘉納家は柳宗悦の母の弟、嘉納治五郎の関係のところだろう。柳宗悦の自宅も結婚からすぐ千葉の我孫子に移ったのも柳宗悦の姉直枝子の別荘で、そこも、母勝子の弟嘉納治五郎の我孫子の地所の隣で、ひと山買って直枝子に財産分けしておいたもの。財産家の嘉納家は朝鮮にも家を持っていたか。
 巧は僕の四~五年間の蒐集品も美術館に加へたので何となく淋しさと身軽になつた愉快さを感じた。淋しさを自ら慰めるためには使用し馴れたり又特に好きな数点を預かって身辺に置く様にした。と自分が薄給の中、買って集めた品物をいかに自分私する考えのないかがわかる。特に好きな数点を「預かって」と言う言葉で日記に書いている。未練も欲もない。ここが巧らしさと言うのだろうか。
『浅川巧日記』を読み解く(9)(10)(11)

一月九日 雪、朝から降り出した雪は夕方までに約四寸積もった。
 本府の石戸谷技師から播種造林の計画を立てるから出府せよとのことで雪を冒して午後出て行つた。
 夕方柳、赤羽両兄と一緒に貞洞へ行〔つ〕て晩飯をした。夜は今村邸に森永、挟間両君も一緒になつて講演会の会員証の印刷や会の準備をした。
 夜は強く風が吹いた。

本府は朝鮮総督府で、石戸谷技師は浅川巧の同僚で共著もある。一年先輩の同僚。
一寸は一寸 = 3.03030303 センチなので、約4×3=12cmほど積もったことになる。
講演会の会員証の印刷や会の準備は念入りにしている。
貞洞は伯教宅。
講演会は「ブレークに関する講演会と展覧会」のこと。当日は1月14日・15日
 
一月十日 前日の続きの用件で出府。用事は午前でほぼ済んだ。
 二時頃から夕方まで柳さんと北部朝鮮町の古物屋を漁つた。朴淵や満月台の画の屏風を買つた。大和町の榎本氏の所蔵品を見た。大和町で柳さんと別れて初音町の石戸谷氏を訪ふて十一時頃帰宅。
 (晴れて居たが寒い日)

出府は朝鮮総督府の本庁へ行ったこと。

一月十一日 終日雪が降つたり止んだりした。
 春先の事業実行計画をするために石戸谷技師と雪中を踏査した。踏査のついでに池傍に霞網を張つて小鳥を追ひ廻したが一匹も獲〔れ〕なかつた。帰路は雪が随分強く降つた。
『浅川巧日記』を読み解く(8)

一月八日晴
 午前中は柳さんと二人で美術館の品物整理をした。午後二時頃赤羽君が謄写版の器械と会員証の原稿を持って来たので夕方迄かゝつて約六百枚を刷つた。晩飯を食つて赤羽君と柳さんは帰つて行つた。朝、新田の大屋からはがきが来て園絵が元気になつて遊んでゐることを知つて安心した。園絵をどうかして自分の処に一緒に置く様にし度い。一緒に暮し度い。然し差し当り今の儘は最自然の策だと思ふ。神よ我が貧しき家庭を清め且つ御護り下さい。

  昨日のブレークに関する講演会と展覧会の準備を手作りでしている様子がわかる。
会員証、今でいうチラシのようなチケットを600枚も刷ったんだ。準備に力をかしている赤羽君は赤羽王郎のことで、彼についてはじっくり後で書きたい。
 浅川政歳については新田の大屋と書いてあるが、新田は地名で大屋は大家、つまり本家と言うことだろうか。田舎ではよく大家とか分家を新家とか言う。
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