2018年9月4日(火)
木喰上人
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『木喰上人之研究』柳宗悦編輯 木喰五行研究会発行の第三号に浅川伯教が書いた文が載っている。結構、面白く興味深い文なので、著作権50年が経っているから、全文を載せてみる。『木喰上人の研究』
(原文は現代仮名使いに直している)
    
    木喰さんに就いて二三           浅  川  伯  教

 大正十年の夏の事であつた。弟の妻が県病院に入院中、私は久しぶりで甲府へ帰った。病院に行く途中百石町に山本節さんを訪ねた。戸を明けると、二つの木彫が直ぐ眼に入つた。主人は、どうです この彫刻はと云ひ乍ら、例の童顔に笑みを浮べて、白木の荒刻りの佛さんの頭を撫でた。私は変な味の素性のよい面白いものだと思うて、明るい気持ちに成つて、主人の説明を傾聴した。
 その後、妹は県病院で遂に逝つた。小野先生(甲府教会牧師)に頼んで教会で出張りの葬式を済した。帰りに、櫻町で古屋骨董店の前を通ると、硝子越しの暗い部屋の中に、白木の荒彫の佛さんが、ずらりと並んで居つた。はゝああ、あれだな木喰上人の彫刻は、山本さんの處で見たのと同作だ。と一人で心に思うたが、時が時であったからそのまゝ過ぎた。そして間もなく東京へ帰つた。 
 大正十三年の正月、柳君の處から葉書を貰った。それには池田の小宮山君の處で木喰上人と云う人の彫刻を見た。賓に驚くべきものだ。とあつた。
 その時三年前の記憶がはつきり私の頭に浮んだ。後で聞くと直ぐ其場で書かれた葉書との事だ。私は今小宮山君の所蔵の一作を通して他に何等の背景も無き上人の全生活に就てのアウトラインを正しく直感した、柳君の鑑識に敬意をはらわざるを得ぬ。
 昨年の夏七月京都に旅行して、柳君の處で長く厄介に成つた。其時には上人の作の一躰の地蔵さんが、吉田山麓の邸に安置されて居つた。主人の時々殷謹な態度で線香を立てたり、又話しの切れ目に一人静にこつそりと地蔵さんに心を寄せる様を自分は感得した。
 この部屋には支那・朝鮮・日本の美術品が處も狭い程並べてある。その中で、この地蔵さんは、この部屋に一種の空気を作つて居る。
 それ計りでなくこの家に木喰さんの空気が充ちて居る事を感じた。
 丸畑から寫して来た、自叙伝や、和歌の研究に、主人は熱中して、奥さんが辞書を抱いて来て引張つたり、自分が甲州の方言の説明を試みたりした。
奈良や京都は彫刻物の檜舞台で国宝がごろごろして居る。其中に、甲州の丸畑と云へば甲州の内でも知らぬ人の多い處から、一つの木彫品の地蔵さんが、菰に入り込んで仲間入りしたのである。
 毎日二人で京都の古い寺や骨董をのぞいて色々の美術品を見て歩いて帰って、この木喰さんの地蔵さんを見る。全く別な美に打たれる。
 現世に於いて平凡と見られて居る、総べての人の所有する美しさと佛性とを、これ程射面に現わした彫刻は他に無い。
 眞の彫刻と偶像とは全く別のものである。聖書や経文が貴い語である様に、真の彫刻も聖者の語である。その心を美しき形に象徴したものが彫刻で、美しき語に象徴したものが聖書や芸や経文である。二つ乍ら貴い手段である事には相違は無い。地蔵さんは、常に笑い乍ら何物かを物語る。その美しさを理解する事によつて凡ベての人の所有する忘れられたる美しさが理解出来る。人に対して腹を立てる事が出来なくなり、総ベての人に対して親しみ感ずる。木喰さんの彫刻は腹の虫のまじないに感じるとも云える。あの彫刻を前にして立腹する様な極道はまだ日本人には無い。
 柳君の處に、生きた小さな、木喰さんが居る。それは今年、尋常二年生、今迄、モウチャンと云われた、二番目の坊ちゃんだ。その頃家の人だちは、皆モウチャンの事を、木喰さんゝと云って居つた。それは極めて木喰さんに似て居つた。圓い顔に眼がギョロッとして、頬から顎に掛けて膨らんだ豊かな線、額が少しおでこで、鼻が小さい方で、唇が厚手に締つて鼻の側に小皺を作って笑う時は、木喰さんの地蔵さんそつくりだ。
 この小さい木喰さんは時々兄さんと喧嘩をする、今泣いたかと思うと、けろつと微笑して居る。兄さんが木喰さんと呼ぶと、「えぇ」と云うて得意の顔をする。
 朝起ると兄さんと二人で父さんの處へ来て、「ごきげんよう」と云うて、丸い頭をごろっと下げる。大体の事件は平気の微笑で済す。おかあさんは、時々この木喰さんは不平家ですと云われるが、不平を申出る時でも、のん気な顔をして居る。父さんに、叱られてこそゝ姿を隠したと思うと、いつの間にか、そうと戸をあけて一寸のぞく。木喰さんそつくりの表情。
 この家の二階から樫の大木の幹を越して、東山が見える。その峯のラインの終る處に清水の塔が見え、離れて東寺の塔も見える。本願寺の大きな屋根が見え、京都の町は一目に見下される。木喰さんの京都入りは田舎者の江戸見物と云う格だが、平気でにこにこして御座る、一向引け目を取らぬ。
 作者にとっては製作は一個の自叙傳である。この一つの塊りが、彼れの全生活を物語る。上人の作は舶来ものでも無ければ、天から降つたのでも無い、日本の土から生れたものである。
無論立派の殿堂に飾らるゝより炉辺に胡座して渋茶を味わう人だちと共に燻りつゝ談ずる側に、属する人である。
 今年の四月陶器行脚に東京の市を訪うた。丁度木喰上人の展覧會に出合わした。久しぶりで甲州の色々の人に遇つた。
 どうも甲州から出て来る人は木喰さんに似て居る。大森さんと雨宮さんは、其内でも随分似て居ると思うた。
 五十躰以上の上人の作がずらりと並べられた様は偉観であつた。其内でも上人の自刻像、ことに老年の方が、非常に好きであつた。晩年のセザンヌの自畫像を思わせる。永平寺の坊さん道元禪帥も實によい。あのむき出した眼光はこの世のあらゆる眞實を観破した相では無いか。禪の塊りの様に強く美しい。総べての禪僧の叡知の夢を弦に宿して居る。
 三時代を代表した三個の自刻像は、上人の精神生活の進歩即ち瞑想・法悦・大悟の三相を明瞭に思わせる。一人明月を仰いで法悦に入つて居る、那迦犀那尊者の横向きの極めて明るい顔は、上人自分の、秋月獨居の夜を想わざるを得ない。現世のごた〆を背にして、一人天空の何物かと語つた幾夜の記憶が彼れにあの構圖を想起せしめた事と思う。ことに多くの和歌の中にあの気持ちのものが少くない。
 強い光背の効果はジョットの畫を思わせる。それに囲まれた圓い頭の地蔵さんは、實に愛すべき圓満の姿ではないか、眺めて居ると自分が地蔵さんを愛して居るのか、地蔵さんがこちらを愛して居るのか、分らなく成る。愛は愛を招き、愛は愛を生む、と云う様の事が直覚的に心を突く。
 教安寺の十一面観音様は、實に打ち解けた姿で徳利を持つて御座る。心もち横に向けた顔は、気持ちのよい田舎の御婆さんそのまま。その上にある細い多くの顔をよく見ると、腕白な田舎の鼻汁を横に撫でて、きょろゝやって居る子供の群集そのまゝではないか。上人はこう云う民集の中に佛性を見た。
 
 
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