2016年1月12日(火)
2016『浅川巧日記』を読み解く12
2016『浅川巧日記』を読み解く12
一月十二日  
 午前中部屋のかたづけと事務所で仕事をした。午近い頃から柳兄が来たので二人で美術館の物品の整〔理〕をして「チゲ〔荷担ぎ〕」を傭つて送り出した。僕が此の家を立ちのかなければならんために嘉納家の一室に預けるのだ。美術館の計画が具体的になつてから満一年だが、その間にぼつぼつ持ち込んだものが実に二十「チゲ」と荷車一台あつた。僕の部屋も荷を出したらすきずきして淋しくなつた。僕の四~五年間の蒐集品も美術館に加へたので何となく淋しさと身軽になつた愉快さを感じた。淋しさを自ら慰めるためには使用し馴れたり又特に好きな数点を預かつて身辺に置く様にした。柳さんと嘉納さんから借りた部屋に物を納めた。金君も手伝つて呉れた。晩飯は今村さんで仕度して呉れて粟飯の御馳走になつた。夜は赤羽、森永、挟間君諸兄と柳さん処で「ブレーク」の詩抜粋抜の謄写印刷をした。一時すぎまでかゝつた。寒い夜の雪道を山越しに帰つて寝た時は二時すぎだつた。

 「朝鮮民族美術館」に展示する作品の整理と保管のことが出ている。巧の勤務先の山林研究場が京城府外清涼里に移ったので、僕が此の家を立ちのかなければならんために巧も勤務先の清涼里に引っ越すことを決めていることがわかる。
 嘉納家は柳宗悦の母の弟、嘉納治五郎の関係のところだろう。柳宗悦の自宅も結婚からすぐ千葉の我孫子に移ったのも柳宗悦の姉直枝子の別荘で、そこも、母勝子の弟嘉納治五郎の我孫子の地所の隣で、ひと山買って直枝子に財産分けしておいたもの。財産家の嘉納家は朝鮮にも家を持っていたか。
 巧は僕の四~五年間の蒐集品も美術館に加へたので何となく淋しさと身軽になつた愉快さを感じた。淋しさを自ら慰めるためには使用し馴れたり又特に好きな数点を預かって身辺に置く様にした。と自分が薄給の中、買って集めた品物をいかに自分私する考えのないかがわかる。特に好きな数点を「預かって」と言う言葉で日記に書いている。未練も欲もない。ここが巧らしさと言うのだろうか。
 
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