2016年8月15日(月)
2016『浅川巧日記』を読み解く1922(大正11)年8月15日より(1)
 とうとう、今年も8月15日を迎えた。私にとって、8月15日は全面降伏であの戦争ががやっと終わったという歴史上、記念すべき日であることが一番。それ以上に個人的には『浅川巧日記』の8月15日に巧の詩が載っている日ということも大きい。
 下記に載せたこの「星の歌」と称する記述が書かれた日なのだ。
 伯教・巧兄弟はキリスト者であった。キリスト教を理解するうえで巧日記のこの記述ほどその精神を表現し、詩のように述べた文を他に知らない。

 大空は隅から隅まで星を鏤めた象眼になって居る。
 大空の奥行きは人間に想像を許されて居ない気がする。
 星には大小光の色や強弱があって同じ様のは殆んどない。
 あの各々に自転や公転の運動があるとどうしたら思へるだらうと
 疑ひ度い程静かだ。
 彼等の運動は自由だ。

 真の自由は進むべき当然の道、神の指示する道を信じて歩むことだ。
  彼等は自由の運動をして居て全躰の均斉を失わない。
 逆に云ふと全躰の均斉を失はない各個の運動は真の自由の運動であると
 云ふことになる。 
 寧ろ各個の運動によって全体の均斉は安全に保たれて居るのだ。
 あの宇宙にふらふらして居る様の星が人間の想像し得る一番確実な
 安泰の状態であると云ふことを知ってゐるか。
 自分達が地球上に如何に大建築を立てゝも、大森林を造っても、
 墓場を立派にしても、土を掘って宝をかくしても、
 大盤石にしがみついても、
 その確かさはあの星の一つの糞皮に起った出来事にすぎない。

 人類よ、星の様に自由の道について進め。そして全躰を安泰にしろ。
 各自許された力を出し切って運動しろ。
 引力の手を汝の隣に延べて握手しろ。
 人の子の霊の天躰はそこに出来て星の様に輝くだらう。

 草叢の土際からコウロギの一族が星の歌を歌ってゐる

 私たちは自分の意志で自由に生きていると思っている。しかし、そのように見えても実際は宇宙が均衡を保って全宇宙に存在しているように、自由のように見えても宇宙の中ではそれぞれ均衡を保っている一人にすぎない。だから、自由に生きることで人間社会に於いて均衡を保っているのだ。各おのおのが自由に自分の力を出し切って生きろ。そうすることによって星が自分で輝くように人も輝く、と。巧は8月15日の日記に書いているのだ。最後の一行を見ると巧は全く詩人だ。
 
 
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