2016年1月7日(木)
2016『浅川巧日記』を読み解く(7)
『浅川巧日記』を読み解く(7)
一月七日 晴
 午前中事務所に居た。
 午後は家で美術館の物品や冠岳山から採集して来た窯跡蒐集品の整理をした。一時半頃柳さんが来、四時頃赤羽君が来た。皆で一緒にその整理をした。五時半頃三人で出掛けて渡辺高等法院長邸へ行つた。柳さんを主賓にして秋月牧師、橋本氏と共に陪食に招かれたのだ。席上でブレークに関する講演会と展覧会開催のことが相談された。九時頃同邸を辞して講演会準備の為に北内へ紙を注文して赤羽君と鐘路で別れて柳さんと二人帰宅した。色々話して十二時頃寝についた。懿寧園の秋は静だ。


 柳宗悦がこの一月にやってきた歓迎会を渡辺高等法院長邸で開いてくれた。渡辺暢はキリスト教信者で浅川兄弟とも親しかっただろう。秋月致牧師は組合教会牧師で浅川兄弟のメソジスト京城教会とは違うので、渡辺暢の教会牧師か。巧の人脈の広さは追々日記でも私たちは知る。
「ブレークに関する講演会と展覧会」開催のことが相談された。これは後日、日記に出て来るが、長谷川町の日本基督教会で1月14日に行われた。このことはまたその日の日記のところで。
 
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